2013年8月23日金曜日

3.4. ガンマナイフ治療(1回目)

 脳神経外科から、カンマナイフ設備を持つ病院を紹介していただき、紹介状を持参して病院を訪ねました。1995年当時、設備を備える病院は、全国に数えるほどしかなかったと記憶していますが、幸い県内にありました。

 紹介先の、病院の脳神経外科がガンマナイフセンターという大きい設備を持っていました。受診した時点でガンマナイフのスケジュールが3ヶ月ほど決まっており、筆者が治療を受けられたのは、1996年の春でした。

 ガンマナイフ治療に必要な入院期間は2泊3日で、1日目の午後入院して、2日目にガンマナイフ治療を受け、3日目の午前に退院するという日程でした。

 1日目は、午後に入院して、胸のレントゲン撮影をした以外、特に何もする事が無く、読書をしたりして体を休ませていました。

 2日目は、忙しく、朝から点滴、ステロイド、痙攣止めの注射を受け、ガンマナイフセンタに移動しました。

 そこで、まず、点滴の分岐しているところから、鎮静剤を注入されました、その瞬間から睡眠と覚醒を繰り返すような、フラフラの状態になりました。

 ガンマナイフの最初の段階は、患部位置を正確に測定するための器具を頭に取り付けることでした。

 部分麻酔(抜歯に使うような弱い痛み止め)をネジを刺す部分に注射して、4方向からねじが頭に少し刺さり、器具が固定されました。

 取り付けす瞬間は、少し痛みを感じました。また、当時は、工具に使うプラスドライバーでネジを締め付けてくるので、視覚的の恐怖感も感じました。痛みを訴えると、装着部分にさらに麻酔注射をしてくれました。器具の装着が完了したら、痛みは全く感じなくなりました。

 器具を装着した状態で、MRI撮影と、脳血管造影をし、患部位置を正確に測定されました。その間、意識はもうろうとしていました。

 その後、ガンマナイフセンターに行き、コンピュータが照射計画を計算する間、待機。

 当時のコンピュータは机一つ分くらいあるかなり大きいものでした。計算時間が長く、待機時間が長く感じられました。オペレータの方も「計算時間がかかるわねー」とおっしゃっていました。

 計算が完了すると、ガンマナイフユニットのベッドに移され、頭に装着した器具がユニット本体に固定されました。

 筆者から見えた部分は、あたまの後ろ側にある、沢山の穴があいた金属ドームでした。
 スタッフが、数字を読み上げながら、ドームの穴に沢山の透明な棒を差し込んでいました。

 スタッフの話では、ガンマ線は眼球に悪影響を与えるので、眼球部分にはガンマ線が照射されないように遮蔽をしているとのことでした。

 筆者から見える正面の壁には、壁一面の大きさの赤やオレンジ系の色の風景画がかけられていました。また、ガンマナイフユニットが設置されている部屋にはクラッシックのピアノ曲が流されており、そのうちの1曲はショパンの幻想即興曲だったのを良く覚えています。

 スタッフが「これからはじめます」というと、ベッドがゆっくり後ろへ移動し、治療開始。1回目の照射は20分位。その後、器具の、位置を変えてさらに2回目の照射行われました。照射中は何も感じず、ただ音楽を聴いている間に完了しました。

 その後、スタッフがデータをチェックしているようでした。スタッフがOKを出してから、頭に装着されていた器具を外していただきました。

 ネジは皮膚に突き刺さっていましたので、外すと血がたらたらと流れました。ガーゼを付く当てて包帯を頭に巻いていただき。病室へ搬送されました。病室についたのは午後だったと思います。病室に着くと、血管造影のカテーテルを挿入した右足を、軽く拘束されました。

 一時間以上は飲食禁止とのことで、喉が渇いていましたが、鎮静剤が効いているようで、また眠ってしまいました。その後、昼食と夕食は食べたはずですが記憶がありません。

 3日目は、包帯を外していただき、バンドエイドを頭に貼って頂き。何時でも帰宅して良いと言われ、午前中に帰宅しました。

 治療後が頭痛が残ることがあると言われましたが、一ヶ月位は頭痛がありました。また、頭に器具を取り付けたため、神経が切れたらしく、頭皮が痺れた感じが一ヶ月位続きました。

 その後の経過観察は、1年間は一ヶ月毎、2年目は3ヶ月毎、3年目は半年毎だったと記憶していますが、間違っているかもしれません。

 3年間の経過観察で、AVMに変化が見られなかったため、セオリー通り、2回目のガンマナイフ治療を受ける事になりました。


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