2013年8月23日金曜日

3.9 多くの幸運による回復に感謝

 生まれつきと思われるAVMがあり、ジストニア症状で右手が不自由になり、大好きなギターが全く弾けなくなりました。また欝症状に見舞われ、大変精神的に苦しい日々を送らなくてはなりませんでした。そして、ガンマナイフ治療後に脳浮腫ができ、これが、悪化し、血管腫の発生と嚢胞ができるという、17年もの長い経過をたどりました。これは非常に珍しいケースとのことあり、同じ経過をたどった方は少ないとらしいです。これらは、不運としか言いようがありません。

 しかし、多くの幸運に支えられて、現在の自分があることに感謝しなければならないと思っています。

 2013年、現在、普通の人と変わりなく、家族と一緒に日常生活を送ることができています。会社員として仕事ができています。趣味のクラッシックギターはアマチュアとしては十分なレベルで弾けています。自動車の運転もできます。医師から特に生活上の制限は受けていません。

 このようになれたのは、たくさんの好条件に恵まれたからであると思います。
 まず、AVMが発見される33歳まで出血することはありませんでした。出血で初めて発見されて、なくなる方や後遺症が残る方も多いと聞いています。自分は結果的に健康な状態で生活できています。

 ジストニアがきっかけで、神経内科を紹介されAVMは発見されたことです。1996年当時当時CTではAVMは見つかりませんでしたが、1995年当時にMRIが病院に導入されAVMが確実に発見できました。MRIが無ければAVMの発見はされなかったと思います。非常に幸運なタイミングです。

 ガンマナイフは当時まだ健康保険非適用の先進医療でしたが、国内で最も治療実績がある病院が県内にあり、治療を受けることができました。
 ガンマナイフが国内に導入される以前は、海外に渡航して受ける方々もいたと聞いています。

 最終的に脳外科手術を受けることにはなりましたが、患部は脳の表面にあり、主治医の先生は、骨を開ければすぐ届くので、手術はやりやすいとおっしゃっていました。

 結果的には、熟練した主治医の先生のおかげで後遺症が残ることもなく患部の摘出ができました。手術はとてもうまくいったと主治医の先生がおっしゃっていました。

 人間は、運をコントロールすることはできませんが、結果的に幸運に恵まれて、健康的な生活を送れるようになり、これには、心より感謝しなくてはなりません。


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3.8 今後の回復への期待

 今回の手術で、患部の摘出を受けましたが、摘出後は空洞が残りました。
 今後、圧迫されていた脳が回復してくることを期待したいと思います。

 また、視野狭窄が今後改善することを期待したいと思います。

 また、左脳の4分の1に広がった浮腫みが、改善していくことを期待したいと思います。


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3.7.10 現代医学の恩恵による早期回復

 手術後、8日目に、皮膚を縫合していた、ステイプラーを外していただき、退院できる状態だと主治医に言われました。
 その時点で、まだ発熱がすこしあったため、大事を取って2日後に退院しました。
 結局入院期間は、10泊11日でした。
 
 開頭手術を受けて、このような短期間で退院でき、病院の技術力の高さに感心しました。


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3.7.9 手術の記録映像

 主治医の先生に、手術の記録動画を見せていただき、手術内容のご説明を頂きました。
 筆者の場合、AVMは脳の表面だったため、まず表面にあった閉塞したAVMを摘出し、嚢胞を摘出し、嚢胞を作り出していた新生の血管腫のようなものを摘出した後、ファイバースコープで取り残しが無いように十分に確認し、止血を確認したことが、良く分かりました。

 患部の切除と摘出はピンセットのような器具で行われていました。

 脳は、硬膜、髄膜、くも膜、軟膜などの、何重もの膜で覆われているそうですが、脳をそっと包んでいる、ゼリーのような軟膜に丸い穴を開けて、指で広げて手術をしている様子がよく分かりました。軟膜は、弾力性があって、指を離すと、膜の縮む力で脳を包もうとして穴が小さくなってくるのが映像で分かりました、軟膜は自力でに穴が閉じるため縫合はしないそうです。

 硬膜は、現在はゴアテックス製の人工硬膜で縫合するそうです。

 動画は早送りで再生して説明していただきましたが、3時間近くの時間をかけて、丁寧に手術をされていることが良く分かりました。


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3.7.8 手術で摘出した物

 主治医から手術で摘出したものについて説明を受けました。

  • ガンマナイフの効果で閉塞したAVM
  • MRIで大きく写った嚢胞
  • 嚢胞を作り出していたと考えられる、新生の血管腫のようなもの
これら3種類をきれいに摘出していただき、これらを培養検査し、悪性で無いことを確認していただきました。 


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3.7.7 手術後の安静

 ICUから病室には午前中に搬送され、昼に、昼食が出されました。しかし、食欲が無く、食べられませんでした、2時間以上かかって、おかゆ、煮野菜、などをなんとか完食しました。

 口の中が苦く、飲んでも食べても、あまり美味しくない感じがしましたが、食べたいという感じが強く、とにかくゆっくり食べました。

 その後、また寝てしまい、夕食の頃には目が覚めてはっきりしてきました。

 ベッドは頭が90度になるまで起こすことを許可され、テレビを見たり、PCでインターネットを閲覧したりできました。

 次の日に、右手の点滴と、尿道挿管が外され、ベッドからトイレまでの移動が許可されました。
 その次の日には、点滴が全て外され、自由に歩いて良い許可が出ました。

 しかし、早朝は頭痛があり、38度程度の発熱があり、朝食の時に頭痛薬を飲むと、昼頃には元気になるということを、しばらく繰り返しました。

 元気になると、インターネットのSNSを見たり、病棟を散歩したりして体力の回復に努めました。


 ベッドから降りる許可が出て、最初はベッドと洗面所までの歩行5m位でした、手術日から2日、ベッドの上に居ただけでも、立ち上がると、フラフラしました。短期間でも殆ど体を動かさないと、体力は急速に減退するものだと思いました。

 最初に洗面所で、体を見ると左胸全体に黄色いアザのようなものがついているのに気がつきました。そのときは、「多分手術の間、うつむきに寝かされていたんだろうから、あざ(クロジ)でもできたんだろう」と思いました。看護師に聞きましたが、手術のことはわからないとのこと。

 主治医の回診の時に聞いてみた所、頭の皮膚にできた血しゅが段々移動してきているとのことで、次第に消えていくとのことでした。

 頭の皮膚の血がゆっくり胸に移動するとは不思議です。(その後9月にはアザは完全に消えました。)

 手術後まだ3日目、点滴や計測器は付いていない状態になりました。

 術後3週間は、万が一の癲癇発作等を考慮し、自動車の運転はできません。


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3.7.6 ICU

 手術が完了した時、主治医に済みましたよと声をかけられ、1回目覚めましたが、また、すぐ寝てしまいました。

 次に、家内と母に声をかけられ、ふたたび目が覚めた時、自分がどこにいるのか良くわかりませんでしたが、そこがICUだったようです。声をかけられると目が覚めて、気持ち悪くありません、よく眠れましたと言ったことを覚えています。ICUが何階のどの辺りにあったのかは、ICUを出るまで分かりませんでした。
 
 また、その時、肘がすごく痛かったのを覚えています。長時間同じ姿勢をとっていたためと思われます。最初は肘を曲げることができませんでしたが、医師に促され、少しづつ力を入れると、自力で曲げることができました。

 あと、心臓が凄くドキドキして、左胸が筋肉痛のように痛かった覚えがあります。おそらく、手術中は強心剤を投与して心臓を安定させていたのだと思います。

 後頭部の左側が大きく膨らんで、頭を左に傾けると乗り上げるような感じになり、右側に傾けた姿勢しか取れませんでした。医師に質問すると、大きなタンコブ状態になっているが、だんだん腫れは引いていくと説明されました。後々、手が自由に動かせるようになってから指で押すとじゅくじゅくした感じで、強く押すとジュっと音がしました。
 
 その後、また眠ってしまい、周りのようすがわかるようになってきたときは、外が暗く、夜になっていることが分かりました。

 ICUは時間感覚を失うことがあると、事前には聞いていましたが、筆者の場合、首を動かすと、窓越しに外の景色を見ることができ、およその時間が分かりました。

 手術を受けた夜は、目が覚めたり眠ったりを繰り返していました。2つ先のカーテンの向こうでは、子供が痛がって無く声が聞こえ、また、さらに先のカーテンの無効では、男性が苦しいためか大声で罵声を上げていました。
 ICUはそのような感じで、賑やかでしたので、良くは眠れませんでした。

 目が覚めた時に、少しづつ、周りの様子や自分の状態が分かってきました。

 ICUは患者毎にカーテンで仕切られており、一人当たりの広い空間が確保されていました。とても清潔な感じでした。

 筆者の右手の動脈と静脈には点滴と添え木、左手にも点滴、胸には心電図のパッド、尿道挿管、足には空気圧式マッサージ機が取り付けられ、あまり身動きはできませんでした。

 口の渇きを看護師に訴えると、らくのみの持ってきて下さり、口をゆすいだり、水を飲んだりさせていただきました。

 ICUに搬送されたときは、酸素マスクをつけていましたが、何度か看護師が採血をし、しばらくしてから、血液中の酸素が十分と言われ、鼻につける酸素チューブに交換していただきました。

 深夜、看護師さんが、慌てており目が覚めました、その時に、枕の位置にパッドが敷かれており、それがかなり濡れていることに気がつきました。また、首がベタベタする感じがしました。痛みを感じないので自分では分からなかったのですが、皮膚から出血しているらしい事が分かりました。

 看護師が慌てて主治医に電話し、指示を仰いでいました。切開した皮膚に被せた絆創膏のようなものを、二人がかりで剥がして、ガーゼで強く押さえて、ネットを被せて止血したようでした。

 そうこうしているうちに、だんだん夜がしらんで、明け方になってきたのが分かりました。早朝に大雨が降り、日が昇る頃には雨が上がっていました。

 朝、時間は分かりませんが、ICUからレントゲン室とMRI室にベッドで搬送され、レントゲンとMRIを撮影して、医師が確認をしていました。この時ICUが何階のどのあたりにあったのか分かりました。

 レントゲン室で、医師から100引く7はいくつですかという質問をされ、答えられず、脳が少し腫れているかもしれないと言われたのを覚えています。

 その後、容態の安定を医師が確認し、病室へ搬送されました。


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3.7.5.2 患者としての手術体験

 手術日前日から有休休暇と頂いて入院しました。

 前日は、主治医や、麻酔医から手術の手順についての説明があり、同意書等に署名をしました。

 手術前日は、緊張してなかなか眠れず、0時ごろハルシオンを服用し、それで、朝まで熟睡できました。
 
 食べることは、夜9時まで、飲むことは、手術当日の朝6時まで許可されるとのことでした。

 当日は朝7時30頃に起床し、歯磨きと洗顔を済ませて、待機していたところ、8時過ぎくらいに看護師さんが来て手術着に着替えて、手術室に向かいました。手術室へは看護師さんに案内されて、家内と一緒に歩いて向かいました。

 中央手術室と書かれた扉の前で家内に行ってきますといって、扉の向こう側に入っていきました。 扉の向こう側はどうなっているんだろうという想像をかきたてますが、扉の向こうは、普通の診察室と変わらない作りで、スペースは広く、明るい作りでした。酸素ボンベ等の道具が沢山置いてあり、向こうの一角では、大勢の人が集まって研修のような事をしているようでした。

 待合スペースのような場所に長椅子があり、そこで待つように言われました。筆者の他にもう一人女性の方が手術着で待機していました。
 
 しばらく待っていると、看護師に案内され、さらに奥のスペースへ案内されました。大きい窓ガラスの広い部屋が手術室でした。扉から入ると、たくさんのスタッフが動き回って仕事をしていました。手術台のところには、最新式と思われる明るい無影灯がついていました。

 無影灯の横の台に横になり、準備が始まりました、口を大きく開けてくださいと言われ、思い切り大口を開けると、十分ですねと言われました。
 口は清潔にしておくように、また、差し歯は取れないか歯科で事前に看てもらうように案内に書かれていましたので、入院前に歯科で、歯石の除去と歯のクリーニングを受けてありました。

 次に爪を見せてくださいといわれ、爪を見せ、良いですねと言われました。
 ギターを弾くので右手は普段は爪を伸ばしているのですが、入院前に、短く切って、紙やすりで爪の先を綺麗に磨いておきました。

 次に麻酔が始まりました。麻酔には、気持ち悪いのかなとか、いろいろ想像していましたが、実際は簡単でした。
 鼻と口の所を酸素マスクで覆われ、体を酸素で一杯にするので深呼吸してくださいと言われ、深呼吸をしました、酸素マスクがゴムの匂いがしましたので、ゴム臭いですねと失礼な事を言った覚えがあります。今から麻酔をしますと言われると、少し眠くなり、少し眠くなってきましたと言った次の瞬間には意識を失っていました。次に気がついたとき、主治医の先生が手術が済みましたよと言われました。自分にとっては、眠くなってから一瞬の出来事のような感じでしたが。8:30にスタートし、完了したのは15:00頃だったときいています。

 それからまた、眠ってしまったようで、気がつかないうちにICUに搬送されていたようです。

 自分は、無意識の内に6時間近い時間を過ごしてしまいましたが、自分が眠った後、忙しく仕事をしていたと想像されます。
 
 8時半に手術を始めても、脳を治療する手術に取り掛かれるのは10時位になると聞いていましたので、様々な手順があったと思われます。

 ここからは想像になってしまいますが、
全身麻酔の処置。自発呼吸が停止するので、挿管して人工呼吸器の装着。心電図や血圧等の各種モニターの取り付け。

 切開する部分の髪の毛をバリカンで刈り、頭皮を切開してから剥がして、ドリルで穴を開け、糸鋸で頭蓋骨を切って、硬膜を切開して脳を露出させて、ここから、初めて、脳の治療のための手術・・・。

 脳の治療が完了してから、ゴアテックスによる硬膜の縫合。頭蓋骨のチタンプレートによる固定。頭皮の脂肪層の縫合。皮膚のステープラーでの縫合。消毒、保護シートの貼り付けと固定・・・。

 大変なお手間をお掛けしたんだと想像されます。


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3.7.5.1 手術にあたっての筆者の心配

 初めて、手術を受けるに当たり、手術後も前と同じような生活が出来るのかどうかが心配であった。結果的に心配の殆どは杞憂でした。

  • 硬膜の縫合

 まず、心配になったのは、以前問題になった、ライオデュラという製品でした、遺体の硬膜から製造したものの使用で感染症を起こすことが問題になりました。
 現在は遺体の硬膜の使用は禁止されており、ゴアテックス製の人工硬膜を使用するとのことで安心しました。

  • 輸血の可能性
出血が多い場合、輸血の可能性があり、感染症の心配がありました。この件についても主治医に質問し、輸血の可能性があるのであれば、自己採血をして欲しいと申し出たところ。第一に、輸血する可能性は殆ど無いこと、第2に輸血用血液は、現在世の中で分かっているウイルスや細菌については全て検査をしており感染症の危険性は極めて低い事を説明され安心しました。
 この件は、入院時の採血を担当した検査技師にも聞いてみましたが、現在分かっている血液の細菌やウイルスなどについては全て検査をしており、それに関しては感染症心配は無い。世の中でまだ未知のウイルスが混入していいる可能性はゼロではないとのことでした。

  • 開頭した骨の再結合

 開頭手術後は切った部分の骨が薄くなるという話がインターネットに書いてあり、これについても心配になりました。これは、下記のような話です。

 開頭すためには頭蓋骨の一部を切り取って窓を開ける必要がある。その際、骨はいったん体から切り離される。骨は唯の鎧ではなく、生きた組織であるため、骨には血管や多くの生きた細胞がある。骨を切り離すと骨のなかの生きた組織は、体とのコミュニケーションを一旦絶たれる。これをもとに戻すと骨が薄くなる。

 趣味でスポーツをするので、手術後の頭蓋骨の強度の低下を心配しました。

 さらに、骨が薄くならないよう、体から骨を分離しない開頭手術方式もあるという記載を見つけました。

 そこで、この件について主治医に相談しました。
 現在はその課題は解決されており、骨を分離するのが普通であるとのことでした。また、骨を外すほうが開頭手術そのものが容易になるとのことでした。また、昔はいったん骨を外すと、元に戻しても、その後の経過で骨が無くなってしまうという問題があり、骨をつないだまま開頭するというほほうが行われていた。つまり、骨をつないだまま開頭する手術方式は昔の方法であるとのことでした。

 主治医からは、希望すれば、骨を切り離さない手術方式を採用することもできると言われましたが、筆者は、主治医が最もやりやすい方式で手術をしてくださいとお願いしました。

 この件について、手術後に主治医から説明があり、希望通り、骨を取り外さない方式で手術しましたとのことでした。そのため、時間がかかりましたとのことでした。

 主治医は筆者との事前の相談を考慮して、手間のかかる手術方式を採用してくださいました。
 筆者は優秀で、心優しい医師に出会えたことを感謝しています。


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3.7.5 脳外科手術

 筆者は手術というものを初めて受けることになり、大変緊張しました。
 幸い、術後の経過が良好で、予定どうり、2013年9月からは仕事に復帰できました。


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3.7.4 手術を受けるための入院

 2013年6月に、家内と母同席で、入院と手術について主治医と面談し、詳しい説明をして頂きました。

 入院期間は10日程度
 療養期間は一ヶ月程度
 趣味で習っているアイススケートは3ヶ月は中止すること
 髪の毛は切らなくて良いこと

 嚢胞が視神経のすぐ近くに出来ているため、視神経を避けながら注意深く手術をするが、視神経に触れると、視野に影響が出るリスクはあること。
 
 手術では嚢胞と嚢胞を作り出している生体組織を摘出すること
 
 全身麻酔が必要であること。
 手術時間は実質5時間程度であること。

 説明を受け、、 7月末の入院と手術と、8月末までの自宅療養が決まりました。


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3.7.3 視野狭窄

 AVM、嚢胞は左後頭葉の視覚野にあり、視神経が通るあたりにあり、視野への影響はAVM発見当初から心配されました。

 経過観察の度に「目に異常は感じませんか」という質問をされました。しかし、自覚症状は全くありませんでした。

 手術をすることが決まり、手術により視野に変化が起きないかを調べるため、視野測定検査を受けました。

 検査方法は、ドーム状のスクリーンの前に座って、検査技師が光をドームの何処かに当てて、それが見えたらボタンを押すというやり方でした。当てる光の明るさを3段階位に変えて、明るさに違いによる反応も検査するようでした。

 その結果、筆者からもて右前下に角度にして5度の範囲で、光に反応しない部分がある事が分かり、実際に視野狭窄は起こっていました。

 自覚が全く無かっただけに、実際に視野狭窄があったことには驚きました。しかし、狭い範囲なので、日常生活や自動車の運転には支障は無いとのことで、不幸中の幸いと言えます。

 眼科医に目の診察をしていただきましたが、目そのものには全く異常無しとのことでした。

 手術後に、再度視野検査をしましたが、殆ど同じ結果で、幸い手術による影響は出ませんでした。

 今後の、定期的に視野検査をしていくことになりましたが、光に反応しない部分が無くなって、改善していくことを期待しています。


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3.7.2 希少疾患の中でもさらに希少な症例

 AVMは、20万人に一人の割合で発生する希少疾患と言われています。つまり、患者数は日本に数千人、世界でも数万人程度という計算になります。これは、見つかった患者数からの計算なので、実際にいはもっと多いと考えられます。

 主治医の話によると、筆者の場合のように、ガンマナイフ後に、浮腫ができて、さらに嚢胞ができてしまう症例はレアケースだそうです。主治医が初めて取り扱う症例とのことで、学会での報告がみられるとのことでした。

 ガンマナイフ治療により、AVMが閉塞したのはよかったのですが、このような珍しい副作用が出るとは、AVM発見時点では想像していませんでした。


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3.7.1 左脳の嚢胞の肥大

 2011年冬に嚢胞が見つかってからから、1ヶ月で1ミリ程度のペースでおおきくなり、2013年6月の検査で、嚢胞は4cm、浮腫は左脳の四分の1程度になっていると主治医に診断されました。
 さらに、1年以内の手術を勧められました。

 嚢胞は左後頭葉の視覚野でできており、視神経への影響が心配であり、放置すれば、ほぼ間違い無く視野狭窄が起きると言われました。

 9月に次の検査の仮予約をしましたが、近いうちに電話で予約を入れ、家族を同席させて、病院に来るように言われました。

 その後、手術を受けることを決断し、手術をいつ頃受けるか、家族や職場と相談しました。


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3.7. 脳外科手術を受けるまで

 2011年冬、MRI検査で、ガンマ線照射部に小さい水たまりが見つかりました。MRIにはほぼ円形の部分があり、円の中に水平線が見えました。
 液体の分泌があり、嚢胞ができているとのことでした。サイズは1cm以下でした。この時点では再吸収の可能性もあるため、さらに経過を観察することにしました。

 また、MRAで見る限り、AVMは完全に閉塞していると診断されました。

 しかしながら、この約1年半後の2013年の夏までに嚢胞は大きくなり続け、4cm位になってしまいました。

 また、浮腫みは左脳の四分の1まで大きくなっていました。

 余談ですが、2011年は、春に母が胃がんの手術、秋には父が食道がんの手術、冬には家族の結婚式に出席するため、筆者と父母でニュージーランドに渡航し、翌年の2012年の秋には、父が他界するという、イベントが多い数年となりました。

 そして、2013年の夏には、筆者が脳外科手術を受けることになりました。


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3.6. 遅発性の脳浮腫

 2回目のガンマナイフ治療後、定期的にMRI、MRAによる経過観察を続けました。
※MRA:血管が見えるようなMRIデータの処理方法

 何年間かは変化がありませんでしたが、5年程経過した、2004年頃からAVMが小さくなっているような兆候が見られました。

 それからさらに何年か経過して、ガンマ線を照射した部分にに白い物が写るようになり、脳に浮腫みが出ていると言われました。

 自覚症状は無く、そのまま経過を観察するしか無いとのことで、さらに何年か経過観察を続けました。その後、MRI撮影毎に浮腫みはだんだんと大きくなっていきました。

その後、50歳になる、2013年までひたすら経過観察を続けました。この時点で、浮腫みは左脳のおよそ4分の1まで拡がっていました。それでも、自覚症状は何もありませんでした。

2010年くらいの時点で、AVMはMRAで見る限りは完全に閉塞していると診断されました。

40歳になる、2003年頃に、鬱症状が出て、脳外科医に、浮腫みとの関係性を相談しましたが、関係無いと言われました。


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3.5. ガンマナイフ治療(2回目)

 一回目のガンマナイフ治療から3年間の経過観察で変化が無かったため、1999年に、2回目の照射をすることになりました。

 主治医からは、1回目で効果がない場合、3年後に2回目の照射をして患部に追い討ちをかけるのがセオリーとのことでした。

 2回目のガンマナイフ治療は、1回目と同じ手順でした。

 ガンマナイフセンターに行くと、ユニットは同じでしたが、コンピューターは小型のUNIXワークステーションに更新されていまし。

 頭に装着する器具は1回目は、直方体状に組まれたフレームでしたが、2回目はヘルメット型のものに更新されていました。
 
 装着には、工具は使われず、筆者がかぶって、スタッフが器具のハンドルを手で回転させると、固定用のピンが頭皮に刺さってきました。この時の痛さは、1回目と変わりませんでした。

 ただ、治療日前日に子供と公園に行って、ボートを思いっきり漕いだためか、治療日に37.5度程度の微熱が出てしまい、医師に申告しましたが、問題無いとのことで、治療は行われました。すこし、しんどい思いをしながら治療を受けたのを覚えています。

 2回目の治療では、ガンマナイフが保険適用になっており、少額の支払いで済みました。

 この後、幸いにも人類は滅亡しませんでしたので、2013年まで、ひたすら経過観察を継続することになりました。


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3.4. ガンマナイフ治療(1回目)

 脳神経外科から、カンマナイフ設備を持つ病院を紹介していただき、紹介状を持参して病院を訪ねました。1995年当時、設備を備える病院は、全国に数えるほどしかなかったと記憶していますが、幸い県内にありました。

 紹介先の、病院の脳神経外科がガンマナイフセンターという大きい設備を持っていました。受診した時点でガンマナイフのスケジュールが3ヶ月ほど決まっており、筆者が治療を受けられたのは、1996年の春でした。

 ガンマナイフ治療に必要な入院期間は2泊3日で、1日目の午後入院して、2日目にガンマナイフ治療を受け、3日目の午前に退院するという日程でした。

 1日目は、午後に入院して、胸のレントゲン撮影をした以外、特に何もする事が無く、読書をしたりして体を休ませていました。

 2日目は、忙しく、朝から点滴、ステロイド、痙攣止めの注射を受け、ガンマナイフセンタに移動しました。

 そこで、まず、点滴の分岐しているところから、鎮静剤を注入されました、その瞬間から睡眠と覚醒を繰り返すような、フラフラの状態になりました。

 ガンマナイフの最初の段階は、患部位置を正確に測定するための器具を頭に取り付けることでした。

 部分麻酔(抜歯に使うような弱い痛み止め)をネジを刺す部分に注射して、4方向からねじが頭に少し刺さり、器具が固定されました。

 取り付けす瞬間は、少し痛みを感じました。また、当時は、工具に使うプラスドライバーでネジを締め付けてくるので、視覚的の恐怖感も感じました。痛みを訴えると、装着部分にさらに麻酔注射をしてくれました。器具の装着が完了したら、痛みは全く感じなくなりました。

 器具を装着した状態で、MRI撮影と、脳血管造影をし、患部位置を正確に測定されました。その間、意識はもうろうとしていました。

 その後、ガンマナイフセンターに行き、コンピュータが照射計画を計算する間、待機。

 当時のコンピュータは机一つ分くらいあるかなり大きいものでした。計算時間が長く、待機時間が長く感じられました。オペレータの方も「計算時間がかかるわねー」とおっしゃっていました。

 計算が完了すると、ガンマナイフユニットのベッドに移され、頭に装着した器具がユニット本体に固定されました。

 筆者から見えた部分は、あたまの後ろ側にある、沢山の穴があいた金属ドームでした。
 スタッフが、数字を読み上げながら、ドームの穴に沢山の透明な棒を差し込んでいました。

 スタッフの話では、ガンマ線は眼球に悪影響を与えるので、眼球部分にはガンマ線が照射されないように遮蔽をしているとのことでした。

 筆者から見える正面の壁には、壁一面の大きさの赤やオレンジ系の色の風景画がかけられていました。また、ガンマナイフユニットが設置されている部屋にはクラッシックのピアノ曲が流されており、そのうちの1曲はショパンの幻想即興曲だったのを良く覚えています。

 スタッフが「これからはじめます」というと、ベッドがゆっくり後ろへ移動し、治療開始。1回目の照射は20分位。その後、器具の、位置を変えてさらに2回目の照射行われました。照射中は何も感じず、ただ音楽を聴いている間に完了しました。

 その後、スタッフがデータをチェックしているようでした。スタッフがOKを出してから、頭に装着されていた器具を外していただきました。

 ネジは皮膚に突き刺さっていましたので、外すと血がたらたらと流れました。ガーゼを付く当てて包帯を頭に巻いていただき。病室へ搬送されました。病室についたのは午後だったと思います。病室に着くと、血管造影のカテーテルを挿入した右足を、軽く拘束されました。

 一時間以上は飲食禁止とのことで、喉が渇いていましたが、鎮静剤が効いているようで、また眠ってしまいました。その後、昼食と夕食は食べたはずですが記憶がありません。

 3日目は、包帯を外していただき、バンドエイドを頭に貼って頂き。何時でも帰宅して良いと言われ、午前中に帰宅しました。

 治療後が頭痛が残ることがあると言われましたが、一ヶ月位は頭痛がありました。また、頭に器具を取り付けたため、神経が切れたらしく、頭皮が痺れた感じが一ヶ月位続きました。

 その後の経過観察は、1年間は一ヶ月毎、2年目は3ヶ月毎、3年目は半年毎だったと記憶していますが、間違っているかもしれません。

 3年間の経過観察で、AVMに変化が見られなかったため、セオリー通り、2回目のガンマナイフ治療を受ける事になりました。


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3.3. アンギオグラフィー(脳血管造影)

 ガンマナイフ治療の適用可否の判断をするため、また、AVMの詳しい状態を調べるため、脳血管造影検査(アンギオグラフィー)を受けました。これは、頚動脈から造影剤を流して、連続写真で血流を観察する検査で、危険性を伴う検査との事でした。

 入院当初は神経内科で行う予定でしたが、検査前夜にジンマシンを発症したため、検査延期となり、脳外科に変わってから受けることになりました。

 ジンマシンの原因ははっきりしませんでした。検査予定日は月曜日で、その前の週に造影CTを撮影したため造影剤のアレルギーを起した可能性がありますし、また、週末、帰宅を許されたため、自宅で夕食にトロロやマグロの刺身を食し、急に高カロリー摂取をしたためかもしれません。

 神経内科の主治医からの指示で皮膚科を受診し、皮膚科では皮膚科の立場としての下記の見解を頂きました。 

 「皮膚科の立場としては、脳血管造影は危険な検査なのでやめて欲しい。」
 「造影剤を入れてから数日後に発症するジンマシンは危険であり、最悪アナフィラキシーショックを起す場合がある。」
「そうも行ってはいられないので、安全を確保する方法を示します」
 患者が板ばさみになるような見解を言われても困ると思いましたが、皮膚科で対策方法を書いた申し送り書を作成していただきました。

 内容は、検査の一週間位前から、ステロイド系の薬(プレドニン、ポララミン)を服用して、体の反応を抑えてから検査をするという方法でした。

 それ以来、何度か血管造影検査を受けていますが、検査前の点滴で対策しているようです。

 その後、脳血管造影は脳神経外科で行いました。
 これが生まれて初めて、カテーテルを血管内に入れる検査になりました。

 足の付け根辺りからカテーテルを挿入するため、てい毛が必要と言われ、男性という事で理髪師が病室を訪れてい毛をしました。理髪師も、あまりやりたくない仕事と見え、何となく気まずい雰囲気でした。理髪師には1000円お支払いしました。

 検査の前日は、21時以降飲食禁止になり早めに就寝しました。
 検査当日は、朝8:00位から看護師さんが鎮静剤を注射し、8:30位に検査着に着替えて造影室に向かいました。

 造影室は、手術室のような広い部屋で、台の上に寝てから、看護師さんが「ごめんね」と言って検査着を脱がせ、検査技師が、足の根元周りに大量の消毒薬を流しました。

 検査技師が足の付け根に部分麻酔の注射を打って、ピンセットの先のようなもので触って、「痛いですか?」と訪ね、最初は痛みを感じましたが、暫くすると皮膚の感覚が無くなりました。
 その後、カテーテル操作用の器具の太い針を、足に挿されました。自分の感覚では挿すというより押されるという感じでした。針が動脈まで貫通すると、透視用の機械を足のあたりに持ってきて、技師がモニターを見ながらカテーテルを挿入しました。手早い操作で、カテーテルとどんどん進めて、透視用器具を少しずつ筆者の頭のほうに移動させていきました。投資用器具の位置で、カテーテルが体の何処まで入ったのかが分かりました。カテーテルを挿入されている感覚は全くありませんでした。大動脈の中をカテーテルが通っているんだろうな、と言う想像しかできませんでした。技師の作業は手早く、5分もかからずにカテーテルは頚動脈まで到達しました。
 
 次に造影剤の注入と撮影が始まりました、スタッフはガラス越しの隣の部屋に移動し、マイクで「大丈夫ですか」と呼びかけられました。

 筆者の意識ははっきりしていましたので「意識はすごくはっきりしていますが、大丈夫でしょうか?」と問いかけると。

 「意識をはっきりさせておかないと、寝てるのか、ショックを起してるのか区別できないので、起きていてください」と言われました。

 医師が、「今から検査します」というと、近くの機械が音を立てて、足から、熱く感じるものが入ってきて、首から頭に移動するのが分かりました。頭の中で、噴水のように頭全体に広がっていく感覚でした。

 頚動脈は左右に2本ずつあるそうで、片方の撮影が済んだら、技師がカテーテルの先端をもう一方の頚動脈に移動させ、同じ事を行いました。

 カテーテルの取り出しはガーゼで血液を拭きながら一気に引き抜いていました。足に刺さった器具を取り外し、強く手で押して止血をしました。

 検査をした日は、カテーテルを入れた側の足を軽く拘束され、ベッドで次の日の朝まで安静にし、次の日にはシャワーを浴びる事が出来ました。


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3.2. 治療するかどうかの判断と治療法の選択

 神経内科から、脳神経外科を受診するよう言われ、主治医が神経内科医から脳神経外科医に代わりました。

 脳外科医からは、AVMを放置するか処置するか、選択するように言われました。AVMの処置な将来的な出血のリスクに対する予防的処置であり必須ではなく、放置しても出血する確率は20%程度という説明を受けました。筆者の場合、AVMのサイズは25mm位あり、直径が大きい方が出血の確率が小さいとも言われました。

 神経内科の主治医に相談したところ、是非処置すべきという意見でした。

 筆者としては、局所性ジストニアが改善する可能性が少しでもあるのであれば、できる事は何でもすべきであると考え、処置する事を選択しました。

 次に、3通りの処置方法と、それぞれのリスクを説明され、どれかを選択するよう言われました。
  1. 塞栓術
  2. 開頭手術による摘出
  3. ガンマナイフ
1. 塞栓術
 血管内カテーテルを脳内まで通して、血管が細くなったら更にサブカテーテルを進めてAVMの動脈側まで到達させ、血流を止める栓になる薬品(接着剤のようなもの)を流し込む方法で、次のリスクがある。

  • 執刀医が誤って薬品をAVMの静脈側まで流してしまった場合、薬が下流に流れてしまってから固まって、脳梗塞や肺塞栓を引き起こす危険性がある。
  • 塞栓に成功したとしても、将来的に栓が取れて血流が戻ってしまう可能性がある。

 さらに、塞栓術は特殊な技術で、専門家に病院まで来てもらう必要があることも説明されました。

2. 開頭手術による摘出
 開頭手術でAVMのナイダスに繋がっている血管の流れを止めて、AVMを摘出してしまう方法で、
 次のリスクがある。

  • 脳にメスを入れるので、後遺症が残る可能性がある
  • 摘出しても将来的に再出血してしまう可能性がある。

3. ガンマナイフ
 特殊なガンマ線照射装置で患部にガンマ線を集中照射し、細胞を変性させ血流を止めてしまう方法で、次のリスクがある。

  • 効果が現れるのに長い年月がかかる。
  • AVMが閉塞しない可能性がる。
  • 照射直後に脳に水が溜まったりする事がある。但しその場合の治療法はある。

 さらに、健康保険適用外であり自費診療になる。
 ※1997年から健康保険適用

 筆者の判断としては、効果に時間がかかるかも知れないが、脳にメスを入れるのは怖かったので、ガンマナイフを選択しました。

 ガンマナイフの適用範囲は、AVMの直径が25mm以内との事でした。ガンマナイフ治療の可否判断をするため、脳血管造影検査を受け、直径25mmと診断され、ガンマナイフが適用可能と判断されました。
 こうして、ガンマナイフ治療を受ける事が決まりました。


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3.1. AVM(脳動静脈奇形)の発見

 1995年秋、当時33歳、右手の異常を整形外科で診察してもらい、総合病院の神経内科を紹介され、そこでジストニアという病名を初めて知りました。
 
 神経内科ではジストニアの治療のため、CT、MRIなどの検査を受けました。

 MRI検査を受けた際、検査技師が私の右手を見て、「右手がおかしいんですか?、なるほど・・・」という意味深な事を言い、MRI画像に何か移ったのかなとその時に思いました。

 神経内科の主治医がMRI画像を見て、まず最初に言葉が印象に残っています。
「まさか、こんなものがあったとはね・・・」と、すごく珍しいものを発見したような感じでした。

 主治医が、MRI画像の黒い部分を示して、下記の詳しい説明をして頂きました。
「これは脳動静脈奇形、別名AVMと呼ばれるもので非常に珍しいものです。」
「血管が毛玉状にできており、動脈と静脈が直接繋がっています。」
「血管の塊が周りの脳の組織を圧迫している可能性があります。」
「または、AVMの周りの脳の組織に血液が行っていない可能性があります。」
「動脈と静脈が直接繋がっているため、血管内の流れが速く、出血のリスクがあります。」
「これは生まれつきあったと考えられます」

 このMRI写真をきっかけとして、ジストニアとAVMと関連性を精密に検査するための入院が決まりました。

 この時に、脳動静脈奇形、別名AVMという病名を初めて知り、2013年に至る、長い付き合いが始まりました。このときは、この後17年も引きづることになるとは思いませんでした。また、まさか、自分が脳神経外科に、長きに渡ってお世話になる事になるとは思いませんでした。

当時はインターネットが有りませんでしたので、情報源は書籍しかありませんでした。書店の医学書のコーナーに出向き、色々な本を拾い読みしました。そこから、AVMが20万人に1人の確率で見つかる希少疾患であることや、いったん出血をしてしまうと、非常に危険な状態に至ることや、出血の確率は年間20%程度であることなどを知りました。

 大変な事になったのかな、でも仕方が無い、という漠然とした思いをしたのを覚えています。


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3. AVM (Cerebral arteriovenous malformation) 脳動静脈奇形

 脳動静脈奇形(のうどうじょうみゃくきけい、英: Cerebral arteriovenous malformation, AVM)は、脳の血管が動脈と静脈の異常吻合を生じている先天性疾患。動脈と静脈との異常吻合部にはナイダス nidus と呼ばれる異常血管塊が認められる。
若年者のクモ膜下出血の原因として重要。

ウィキペディアより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E5%8B%95%E9%9D%99%E8%84%88%E5%A5%87%E5%BD%A2


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