2013年8月23日金曜日

3.7.6 ICU

 手術が完了した時、主治医に済みましたよと声をかけられ、1回目覚めましたが、また、すぐ寝てしまいました。

 次に、家内と母に声をかけられ、ふたたび目が覚めた時、自分がどこにいるのか良くわかりませんでしたが、そこがICUだったようです。声をかけられると目が覚めて、気持ち悪くありません、よく眠れましたと言ったことを覚えています。ICUが何階のどの辺りにあったのかは、ICUを出るまで分かりませんでした。
 
 また、その時、肘がすごく痛かったのを覚えています。長時間同じ姿勢をとっていたためと思われます。最初は肘を曲げることができませんでしたが、医師に促され、少しづつ力を入れると、自力で曲げることができました。

 あと、心臓が凄くドキドキして、左胸が筋肉痛のように痛かった覚えがあります。おそらく、手術中は強心剤を投与して心臓を安定させていたのだと思います。

 後頭部の左側が大きく膨らんで、頭を左に傾けると乗り上げるような感じになり、右側に傾けた姿勢しか取れませんでした。医師に質問すると、大きなタンコブ状態になっているが、だんだん腫れは引いていくと説明されました。後々、手が自由に動かせるようになってから指で押すとじゅくじゅくした感じで、強く押すとジュっと音がしました。
 
 その後、また眠ってしまい、周りのようすがわかるようになってきたときは、外が暗く、夜になっていることが分かりました。

 ICUは時間感覚を失うことがあると、事前には聞いていましたが、筆者の場合、首を動かすと、窓越しに外の景色を見ることができ、およその時間が分かりました。

 手術を受けた夜は、目が覚めたり眠ったりを繰り返していました。2つ先のカーテンの向こうでは、子供が痛がって無く声が聞こえ、また、さらに先のカーテンの無効では、男性が苦しいためか大声で罵声を上げていました。
 ICUはそのような感じで、賑やかでしたので、良くは眠れませんでした。

 目が覚めた時に、少しづつ、周りの様子や自分の状態が分かってきました。

 ICUは患者毎にカーテンで仕切られており、一人当たりの広い空間が確保されていました。とても清潔な感じでした。

 筆者の右手の動脈と静脈には点滴と添え木、左手にも点滴、胸には心電図のパッド、尿道挿管、足には空気圧式マッサージ機が取り付けられ、あまり身動きはできませんでした。

 口の渇きを看護師に訴えると、らくのみの持ってきて下さり、口をゆすいだり、水を飲んだりさせていただきました。

 ICUに搬送されたときは、酸素マスクをつけていましたが、何度か看護師が採血をし、しばらくしてから、血液中の酸素が十分と言われ、鼻につける酸素チューブに交換していただきました。

 深夜、看護師さんが、慌てており目が覚めました、その時に、枕の位置にパッドが敷かれており、それがかなり濡れていることに気がつきました。また、首がベタベタする感じがしました。痛みを感じないので自分では分からなかったのですが、皮膚から出血しているらしい事が分かりました。

 看護師が慌てて主治医に電話し、指示を仰いでいました。切開した皮膚に被せた絆創膏のようなものを、二人がかりで剥がして、ガーゼで強く押さえて、ネットを被せて止血したようでした。

 そうこうしているうちに、だんだん夜がしらんで、明け方になってきたのが分かりました。早朝に大雨が降り、日が昇る頃には雨が上がっていました。

 朝、時間は分かりませんが、ICUからレントゲン室とMRI室にベッドで搬送され、レントゲンとMRIを撮影して、医師が確認をしていました。この時ICUが何階のどのあたりにあったのか分かりました。

 レントゲン室で、医師から100引く7はいくつですかという質問をされ、答えられず、脳が少し腫れているかもしれないと言われたのを覚えています。

 その後、容態の安定を医師が確認し、病室へ搬送されました。


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